「頼むって言われてもよぅ・・・」

ねずみ男の目に完全に冷静さを失っている鬼太郎の後姿が映し出される。
それも無理からぬことだろうが・・・

−−−そんなに動揺してたら敵の思う壺だぜ・・・−−−

その時、猛スピードで上空を飛んで来た一反木綿が、慌てた様子で二人の前に降り立った。

「ネコ娘の記憶が・・・記憶がどんどん消えてしまっとぉとよ!
 もうね・・・わしのことも覚えておらんばい・・・」

「なんと?!!仲間の記憶まで無くしているというのか?!!」

重い空気が一反木綿と目玉の親父の二人を流れる中、ねずみ男が口を挿む。

「なぁ〜に深刻になってんだよぅ!アイツにとってお前ぇの存在感が薄いっつ〜だけじゃねぇのかぁ〜!」

今にも泣きそうに垂れ下がっていた一反木綿の赤目がキッと吊り上がり

「ねずみ男!仲間内で一番最初に忘れられたとは・・・おぬしばい!!」

そう言い放ち、目玉の親父をサッと背に乗せ上空高く舞い上がっていった。

「・・・上等だよ!あの小煩ぇ猫に忘れられて万々歳ってもんだぜ!!」

威勢良く喜んで見せるねずみ男だが、決して笑ってなどいない彼の瞳が
心の奥底の本音を語っているように見えるのは気の所為だろうか・・・





 二人の姿がすっかり見えなくなると、ねずみ男は鬼太郎の後を追い始めた。
どこへ向かったかは分からない・・・だが、鬼太郎の残した乱れた気が道案内をしてくれる。

−−−あぁ〜あ!いろんな感情でぐちゃぐちゃじゃねぇかよ!!
   オレ様みたいな妖怪にまで後を追えるぐらいよぅ・・・−−−

住宅街を抜け、郊外へ・・・どんどんひと気のない場所へと進んでいく。
もう先程までぽつぽつあった人間の家も見当たらない。

−−−んっ?お化け電球・・・−−−

細い砂利道の片側にチカチカと点滅する街灯が目に入る。
鬼太郎の気もちょうどそこで消えていた。

−−−薄気味わりぃなぁ・・・−−−

心の中に引き返す気持ちが湧いてくる・・・が、ねずみ男の脳裏に不安な瞳のネコ娘と
乱れた感情のまま女郎蜘蛛の妖と戦い、苦戦するだろう鬼太郎の姿が過り

−−−えぇい!ままよ!!−−−

点滅する街灯の向こうへと足を踏み入れた。



ぐゎゎゎゎ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん・・・



一瞬の眩暈と耳鳴り・・・女郎蜘蛛の塒に入ったようだ。
ここは街灯の あちら側から見えていた風景とは全く違う深い森の中。
街灯の下で消えていた鬼太郎の気もすぐに見つけることが出来た。

−−−おっ!こっちだ!−−−

いたるところにある蜘蛛の巣を用心深く潜り抜け進むと目の前に洞穴が現れた。

今度は躊躇することなく、息を殺し身を屈めねずみ男は中へと入っていく。
程無くして、鬼太郎と女の声が耳に届いてきた。

「女郎蜘蛛!お前の目的はボクだろう?!彼女は関係ない!ネコ娘の記憶を返すんだ!」

「ふっ・・・お前と引き換えに記憶は返すさ・・・」

「じゃぁすぐに返せ!ボクは約束通りひとりで来たんだ!もういいだろう!!」

ネコ娘のことで動揺している鬼太郎も、目の前の鬼太郎だけに気を取られている女郎蜘蛛も
この洞穴に潜んでいるねずみ男のことは気付いていない。

「まださ!お前の妖力もその身も全部頂いてからじゃないと返せないね!」

「・・・この身?・・・」

「私が妖力を吸い取った後は・・・
 この子たちが、お前の亜麻色の髪も爪の一欠けらも全て残らず喰らい尽すだろうよ!」

女郎蜘蛛が愛おしそうに目を細め後ろを振り返ると、そこには無数の子蜘蛛が蠢いていた。

「坊やたち・・・お腹が空いただろう?もうすぐ極上の血肉を食べることが出来るからねぇ・・・
 それと鬼太郎・・・」

血を吸ったように赤い女郎蜘蛛の口端が微かに上がる。

「あの猫妖怪の記憶はある処に封じ込めてあるからねぇ・・・私を倒しても戻っては来ないよ!」

「・・・くっ・・・」

「ふふ・・・いい表情だよ・・・鬼太郎」


彼女が元に戻るのならこの妖力もこの身も惜しくはない。
が、目の前の女郎蜘蛛は約束を守る気など更々無いだろう。

その時、鬼太郎の脳裏にネコ娘の笑顔が浮かぶ・・・

『鬼太郎ぅ〜!ご飯食べよ』

『鬼太郎!一緒に散歩に行こうよぅ!』

『鬼太郎!』『鬼太郎ぅ!』『鬼太郎〜!』・・・


隻眼がゆっくりと開き、女郎蜘蛛を見据えた。

「ボクはお前に何も渡す気は無い!」

「それじゃぁ、愛しい猫妖怪の記憶は永遠に戻らないよ!」

「それでも構わない・・・」

先程まで険しかった鬼太郎の表情が俄かに和らぐ。

「彼女がボクのことを忘れても・・・また最初から始めればいいだけのことさ。
 ボク達には時間はたっぷりあるんだ・・・」

鬼太郎の言葉を聞く女郎蜘蛛は不気味なほど無表情のままだ。

「交渉決裂だな!帰らせて貰うよ」

女郎蜘蛛に背を向け、鬼太郎が出口へと一歩足を踏み出す。

「あはははは・・・なんにも分かってないようだねぇ!
 あの猫妖怪が無くしたのはお前の記憶だけじゃないよ!
 今頃は仲間の記憶を全部無くしてるだろうよ!!」

「えっ?!」

「それだけじゃない!そのうち自分が誰なのかも忘れるんだ!
 そうだねぇ、最後には食べることも眠ることも・・・呼吸することも・・・あはっあははは・・・」

女郎蜘蛛の勝ち誇ったような高笑いが洞穴の中に響き渡った。


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