君あればこそ

目玉の親父が茶碗風呂に浸かり
息子・鬼太郎が湯を足す。
これはこの家の日常の風景だが、このところ少し様子が違うようだ。

「鬼太郎、もうこれ位で十分じゃ」

「・・・・・」

「鬼太郎、湯が溢れるぞ!」

「・・・・・」

「鬼太・・・ひゃぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

目玉の親父の身体が溢れた湯とともに茶碗の外へと流された。
父親の叫び声で我に返った鬼太郎は慌ててその小さな身体をすくい上げた。

「すみません、父さん。怪我はありませんか?」

「わしは大丈夫じゃが・・・」

鬼太郎の手から卓袱台に飛び降りると喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

−−−−−鬼太郎・・・お前は大丈夫なのか?−−−−−




ネコ娘がこのゲゲゲハウスに顔を見せなくなって
もう一か月にはなる。
いや・・・深刻なのは顔を見せないだけではなく、
この親子を避けている感があるのだ。
しかし、ネコ娘がどんなに鬼太郎親子を避けようが、鬼太郎がその気になれば
彼女の逃げ道を塞ぎ捕まえることなど造作も無いことだ。
が、鬼太郎は動かない。
まるでネコ娘が自分達親子を避ける理由を知っていて
それを受け入れているように見える。
少なくとも目玉の親父にはそう思えた。
でも、鬼太郎の我慢ももう限界らしい。
このところずっと、心ここに有らずの状態なのだ。
今も鬼太郎は頬杖を付き、窓から外をぼんやりと眺めている。
そこからはいつもネコ娘が息せき切って、それでも嬉しそうに走ってくる道が見えるのだ。
来る筈も無いのは分かっているのに、そこから動こうとはしない息子に
父は声をかけようとした。
しかしそれは大きな羽音をたて目玉親父の元に飛び込んで来た一羽の化け烏に遮られてしまう。

「一体何事じゃ・・・えっ?!」

「鬼太郎!ネコ娘が・・・ネコ娘が倒れた!!」

鬼太郎は身体中の血が一気に引くのを感じ、先程までの心ここに有らずの状態から
急激に現実に引き戻された。
父親を頭に乗せるのももどかしく、無我夢中でネコ娘の家へと急いだ。




ネコ娘の家へ着くと砂掛けが看病にあたっていた。
まだ意識の戻らないネコ娘を気遣うように声を潜め
砂掛けがネコ娘の状態を説明した。

「どうも病という訳ではないようじゃ。
 何か大きな悩みを抱えておって、それが身体に異変を起こしたんじゃろう・・・」

鬼太郎の表情がピクリと動く。
砂掛けがネコ娘の薬を調合しに妖怪アパートに戻ると
それを待っていたかのように目玉の親父が口を開いた。

「鬼太郎・・・お前何か知っておるんじゃないか?」

静かだが問い詰めるような声色だ。
鬼太郎は膝に乗せた両手で学童服のズボンを強く握り
少しの間黙っていたが、意を決したように顔を上げた。

「このところ・・・ネコ娘がボクや父さんを避けていたのは
 気付いていましたよね?」

「うむ・・・最初はまたお前がネコ娘を怒らせてしもうたのかと
 思っておったんじゃが・・・」

今までもそんなことが何度かあったが、その度に鬼太郎は
何気なくネコ娘のバイト先などに顔を出した。
普段物臭な鬼太郎が、わざわざ人間界に行くのだ。
やはり鬼太郎にとってネコ娘は唯一無二の存在なのだろう。

「そんな他愛のない話ではないようじゃな」

「・・・ボクが・・・ボクがもっと早く父さんと話し合っていれば
 こんなことには・・・」

「わしと話し合う?一体なにを?」

「父さん・・・父さんが昔から追い続けている夢・・・
 それがボクは・・・ボクには・・・」

「わしの夢?」

その時ネコ娘の身体が微かに動いた。

「鬼太郎!ネコ娘が気付いたようじゃ!!」




ネコ娘は聞き覚えのある二人の声に少しづつ覚醒した。
声の一つは自分が世界中で唯ひとり恋して止まぬ愛しい少年のものだ。
そしてもう一つは、その少年が尊敬し誰よりも大切にしているであろう父親のもの・・・
ネコ娘がゆっくりと目を開けると心配そうに自分を覗き込む二人の顔が映った。

「ネコ娘、気が付いたかい?」

「ネコ娘、わしと鬼太郎じゃ、判るか?」

ネコ娘は小さく頷くが、ずっと避け続けてきたこの親子に
瞳は戸惑いの色を見せている。
暫く、ネコ娘はそのまま何かを考え込んでいたが、キュッと唇を噛むと
ゆっくりと起き上がり、その場に正座すると二人に向かい深々と頭を下げた。

「親父さん、鬼太郎・・・ごめんなさい。
 私・・・ずっと言えなかったことがあるの・・・」

ネコ娘の突然のこの行動に目玉の親父は驚いたが
今はその心の中に詰まったものを吐き出させるのが第一と考え
静かに耳を傾けることにした。
ネコ娘は頭を下げたままポツリポツリと話し始めた。



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