部屋の中には一組の布団が敷かれ、誰かが寝ているように膨らんでいる。
その傍らにはあの爆発以来、行方不明になっていた庵のお婆が背中を丸めて座っており、
戻って来た白眉の黒猫の頭を___ご苦労さん___と、労う様に撫でながら
こちらを振り向きもせずに口を開いた。

「やっと来おったか・・・ここに寝ておるのがそうじゃ・・・」

鬼太郎の隻眼が僅かに見える赤味を帯びた柔らかそうな髪と大きなピンクのリボンに
釘付けとなり、息をすることも忘れ呆然と立ち竦んでいる。

ドクッ ドクッ ドクッ・・・心臓の音が煩いぐらいに耳に響き、
自分が立っているのか座っているのかさえ、定かではない・・・

そんな鬼太郎の様子に老婆は

「やれやれ・・・世話の焼ける・・・どこまでこの年寄りを扱き使う気じゃ・・・」

呆れた顔で立ち上がると、鬼太郎の背を押し今まで自分が座っていた席に座らせた。

掛け布団を捲ろうとする鬼太郎の手が震えている・・・

布団を捲った途端、夢から覚める・・・そんな気がして心が押し潰されそうだ・・・
これが夢なら・・・ボクは躊躇うことなくこのまま永遠に夢の世界に閉じ籠ることを選ぶだろう・・・

隻眼をギュッと閉じ、震える手で布団を捲ると香り立つ甘い匂いが身体中を駆け巡り痺れさせる。
その香りに驚き、隻眼を見開く・・・すると・・・

「・・・こ・・・これが・・・ネコ・・・?」

横たわる少女は、透き通るような白い肌理の細かい肌に薔薇色の頬・・・
薄紅色の唇から覗く牙と少しだけ尖った耳が彼女が猫妖怪だと教えている・・・

息を飲みネコを見つめる鬼太郎に老婆が意地の悪い声色で

「気に入らぬなら婆が連れて帰るが・・・?」

そう言うと、我に返った鬼太郎は老婆を振り返り

「ありがとう。お婆・・・お婆が守ってくれたネコを今度はボクが命を懸けて守ってみせる・・・
 この恩は決して忘れない・・・」

深々と頭を下げた。

「そんなもんは忘れてくれて結構・・・地獄も冥府も既に生まれたこれをどうこうしようとは思うまい」

鬼太郎はひとつ頷き、まだ高鳴り震える鼓動を隠すようにいつもの表情を作る。

「お婆・・・今までどこに?あの爆発の時に一体何があったんだい?」

「あぁ・・・冥府の役人共が五月蠅かったのでな。吹き飛ばしてやったわ」

笑いながら老婆は鬼太郎にあの時のことを話し始めた・・・
爆発の2〜3日前から気を消した冥府の役人が結界の周りを取り囲む様に集まり出したのを感じた老婆は
あの日、庵に雷の術をかけた玉を幾つも仕掛けると、自分はネコの卵を抱き
予てから地下に作ってあった脱出用の通路から逃げたのだ。

「この婆ぐらい長く生きておると、地上では暮らせないようなモノとも縁が出来、
 暫くの間なら匿って貰える・・・それに・・・
 吹き溜まりのような処でしか生きられぬ憐れな連中にもこれの光の魂が
 一時の慰めになってくれたろうよ・・・」

「・・・」

「さて・・・と・・・あの爆発で宝珠の泉の水脈が変わってしもうた・・・
 またどこぞに湧き出すまでこの婆もお役御免じゃ・・・暫くはのんびり暮らすとするか・・・」

しかし庵は既に無い・・・

「・・・お婆も横丁に住めばいい・・・」

「婆には婆の居場所がある・・・お前たち妖怪とは違う居場所がな・・・」

「もう会えないと・・・?」

「さぁ〜てな・・・会えるとも会えぬともこの婆は言えん・・・
 全ては宝珠の泉次第じゃ・・・な・・・」

「・・・そう・・・か・・・」

最後に鬼太郎は佇まいを正すと老婆に向かい、深々と頭を下げる。
だが、次に頭を上げた時には老婆の姿は無くなっていた。
鬼太郎は窓を開け、外に出て行ったであろうお婆の姿を探すが見当たらない。
その時・・・ゲゲゲの森上空から老婆の声が響いて来た・・・

「くれぐれもこの婆と交わした約束、忘れるでないぞ・・・」

その声に空を見上げると降り頻る雪に邪魔されよくは見えないが
深く垂れ込めた雪雲に吸い込まれていく龍神の姿が見えた気がした・・・

−−−ボクはもう絶対にネコを離さない・・・絶対に・・・ね・・・−−−

鬼太郎が横たわるネコを抱き締める・・・と、先程同様甘い香りが身体中を駆け巡り痺れ
蕩けるような感覚に理性が崩れそうになる。
鬼太郎にとって経験したことの無い感覚・・・
ネコはまだ意識を取り戻してもいない・・・楽しみはまだまだ先だ・・・
でも・・・

−−−そういつまでも待てないよ・・・ネコ・・・−−−

ネコを抱き上げ、鬼太郎は雪が降り続く家の外へと出た。
行先は砂掛けの妖怪アパート・・・
森の中で倒れている妖怪の少女を発見したことにでもして、暫くは砂掛けに預かって貰うのだ。
行き倒れの妖怪の少女のことはすぐに横丁全てに知れ渡るだろう・・・
それは鬼太郎の父親にもだ・・・

−−−・・・父さん・・・親不孝をしてすいません・・・でも・・・それでもボクは
   今、産まれてきて良かったと心から思えるんです・・・−−−

先程まで鬼太郎の行く手を遮る様に吹き荒れていた雪が嘘の様にピタリと止み、
今は雲の切れ間から日の光さえ射し始めている。

−−−おかえり・・・ボクのネコ・・・−−−




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